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富とジェリー

富を得たジェリーは変わってしまった。

悪役考察・第9弾『ライナー』(ハビエル・バルデムの魅力シリーズその2)

悪役 考察 映画 洋画

ライナー

本名:不明
登場作品:『悪の法則』
大まかな概要:
高級レストランやナイトクラブなど手広く経営する派手好きの実業家。
裏社会に繋がるフィクサーとしての顔も持ち、友人の弁護士に持ちかけてメキシコ麻薬カルテルの取引に参入しようとする。

 

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※ここから先は映画『悪の法則』のネタバレをほんの少し含みます。

 

『悪の法則』は映画というよりは舞台、それも古典的な悲劇に近い形式で描かれた物語で、クライムサスペンスだと思って楽しもうとすると損をする作品です。

 

基本的には「理解できないものを理解できていると思いこんだ結果、足をすくわれる」という超シンプルな構造を成り立たせるために全てが存在しており、主人公の弁護士(マイケル・ファスベンダー)は、軽い気持ちで悪の世界に片足を踏み入れ、『悪の法則』をナメた結果、なにもかもを失います。

 

強引な展開や、現実的なようでいてよく見るとところどころ全然現実的じゃない描写は、故意的なものであり、つまり「明確なメッセージを最も集約できた場合」を切り取ったのがこの映画なので、そこを批判するのはナンセンスです。

 

かといって芸術映画というわけでもなく、様式美と、登場人物が語る各々の人生哲学を味わって楽しむ、エンターテイメント会話劇であるといえます。

 

その過程で、キャラクターそれぞれがどういうアイコンなのかが非常に分かりやすく整理されていくのですが、ライナーは立ち位置が少しだけ特殊で、展開に沿って役割が微妙に変化するので、アイコン化して解釈するのがちょっと難しいです。

 

主人公を麻薬取引への投資に誘ったのはライナーですが、この時点での彼は主人公に未来への「警告」を与える存在の一つでもありました。

 

にも関わらず、最終的には彼も主人公と一蓮托生のバッドエンドをたどり、醜態をさらすこととなります。

 

断っておくと、この物語から主人公に与えられる「警告」はあくまで主人公の目線から見た断片的な啓示なので、別にそれを投げかける「警告者」が意図的である必要も絶対的である必要もありません。

 

実際、ライナーは「警告者」であると同時に、ところどころ軽率さと底の浅さが目立つ人物であり、「死神」のマルキナキャメロン・ディアス)に悪い意味で好かれていることもあいまって、彼が敗北に身を落とすこと自体に違和感はありませんでした。

 

しかしそれでも、彼が思慮深い側面も色々と覗かせていたというのもまた事実であり、「無知」と「知」の二面性を持ったライナーのどの部分が、(寓話的な意味での)決定的敗因だったのかというのが気になります。

 

もう一人、主人公に達観した忠告を授けながらも、役割が移り、自身が衝撃的な末路を迎える人物にブローカーのウェストリー(ブラッド・ピット)がいますが、彼の場合は立ち位置が明確です。

 

メインキャラクター5人の中でマルキナに次ぎ、シビアに「世界の本質」を認識していたウェストリーですが、彼の行動原理にはまず「女」があり、古典的なハニートラップの前ではその知性が嘘のように失われてしまうという、「男」の性質が彼の敗因だといえます。

 

ここで着目したいのが、本作における「女」の意味合いです。

 

脚本を務めるコーマック・マッカーシーおなじみの「理解できない悪」「異星人としての他者」というテーマは、今回、常人からかけ離れた趣向を体現するカルテルのメンバーが主に受け持っていますが、「女」の思考形態の極端なパロディであるマルキナを通すことで、「女」もまた、理解不能な生物の象徴として押し出されています。

 

故に、「カルテル」を理解できないことを認識していても、「女」に対して同じ認識を適用することができなかったウェストリーの顛末は分かりやすいのです。

 

その点ライナーは、「カルテル」だけでなく、「女」というものについても度々冷めた視点で私見を述べています。

 

ライナーさんによる「女」についての考察

・道徳観念がない。

・退屈させないことが重要。

・モラルに苦悩するなどといった「影」に惹かれる。

・自分からは誘いたがらない。

・妙なSEXのアイデアを持っている。

 

これらの考察は脚本家自身による哲学の投影と世界観の解説である可能性が高いので、ライナーの「的外れなことを言いそうなキャラクター」に関わらず正解であると考えられます。

 

また、これらを語る際のライナーは、あくまで「女」を定義づけたり決めつけたりしているわけではなく、そのミステリアスさ・つかみどころのなさにも触れています。

 

ということは「理解できない者たちの世界」の存在を彼はほとんど完璧に把握していたのです。

 

逆にいえば、それでもなお彼が破滅に追いやられた理由は、彼の「認識」とは別のところにあるとするしかないわけで、そうなると、それは恐らく「主義」でしょう。

 

ライナーの考察や推論が間違っていたというわけではなく、例え正しかったとしても「だからなに?」と大手を振って迫ってくるのが「理解できない者たちの世界」なのであって、「彼らに気づいていてなお目を背ける」根本的な楽観主義の愚かさを、主人公の「気づいてすらいない」愚かさと差別化したのがライナーなのではないでしょうか。

 

知識と経験と哲学を兼ね備え、認識すべき「触らざる神」を認識していたとしても、根っこの人格がそれに対応できなければ、「理解できていると思いこんでいる」のと同じなのであって、ある意味、ルキナと出会ってしまった時点で、既にライナーは負けていたのでしょう。

 

www.youtube.com

 (「死神」に魅入られた瞬間

 

それにしても、この役にハビエル・バルデムをキャスティングしたのはわざとなんでしょうか。

 

ノーカントリー』のアントン・シガーとは面白いくらいに真逆のポジションですが、そのことがまた味になっています。

 

シガーが徹頭徹尾、人智を超えたパーソナリティを持っていたのとは異なり、『悪の法則』の「カルテル」には、メキシコ人特有の「死と生が常に表裏一体の国民性」という裏付けがあり、マルキナの思考も比較的噛み砕きやすいので、二作品のトーンはだいぶ違うのですが、比べてみるのも一興かもしれません。

画像引用元・権利者:20世紀FOX

 

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