富とジェリー

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『フォースの覚醒』のここがスゴい! 5つの意義ある挑戦

スター・ウォーズシリーズ最新作『ローグ・ワン』の公開が近づいているので、その前に、前作『フォースの覚醒』に関する感想・考察を一通り載せてしまおうと思います。

今回は、スター・ウォーズ『フォースの覚醒』が賛否両論を呼ぶ理由の推察 - 富とジェリーよりも端的な観点で、『フォースの覚醒』の「ここがスゴい」という点を分かりやすく述べていきます。

 

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1.新三部作(プリクエル)と旧三部作(オリジナル)が繋がった

これは本当に「よくやった!」と思いました。

なにがどう繋がったかというと、全九部作の視覚的な世界観がきっちり繋がったのです。

いくらストーリー上は「前日譚」と「本編」であっても、小ぎれいなCGでまとめられた新三部作と、数十年前に製作された上にわざと「汚し」が演出された旧三部作には、どうしても見た目に隔たりがありました。

そのせいで、特に作中の時系列(EPⅠ→EPⅥ)で通して見た時、「後の三部作の方が作られたのは昔だから、色々と古いのは仕方がない」というメタな脳内補正が、ほとんど不可抗力的に頭をよぎっていたのです。

また、新たにEPⅦ以降の物語が作られた際、結果的に「真ん中の三部作だけ古くなる」という珍現象が起きてしまうのではないかというのも、ファンの気になるところでした。

その点を『フォースの覚醒』はズバっと解決してくれたのです。

前にも述べましたが、『フォースの覚醒』はCGてんこもりの新三部作をある意味反面教師とした、実写撮影にこだわった作品です。

それだけでなく、本作の視覚的な世界観は、めちゃくちゃ忠実に旧三部作をなぞっています

「汚し」も「レトロでシンプルなデザイン」もそうですし、冒頭でポー・ダメロンが使った双眼鏡の視界にアラビア数字が散りばめられていた点もポイントが高いです。

これらの配慮により、旧三部作に見られる「昔っぽさ」は作られたのが昔だからではなく、「そういう世界」だからなのであって、今の技術で「撮影」されても同じだという解釈が可能になったのです。

一応元から、旧三部作の時代は銀河帝国の圧政により新三部作の頃よりも衰退しているという裏付け設定はあったのですが、それがきちんと納得のいく証明を以て強化された形になります。

逆に新三部作が浮くんじゃないかという懸念もあるにはあるのですが、マズ・カナタなどのフルCGキャラを登場させることで、ある程度バランスがとられています(あと個人的にカイロ=レンのライトセーバーはとても新三部作っぽいと思う。デザインがっていうより発想が)。

賛否両論があるのも分かりますが、これはスゴいことですよ。

J.J.エイブラムス、ひとまずアッパレ!

 

2.「戦闘」の多様化

新三部作はジェダイとシスの暗黒卿が大量に登場するので、それに比例して「個VS個、ライトセーバーVSライトセーバーの決闘」が多かったです。

それはそれで全然悪いことではないのですが、『フォースの覚醒』ではこの構造がある程度崩され、再び「戦闘」の多様化が図られていたような気がします。

筆頭となるのが本作初登場となる、レジスタンスのポー・ダメロンとファースト・オーダーのハックス将軍です。

ポーは地上で戦う時はそうでもありませんが、戦闘機を操縦させると右に出る者はいません(1カットで10機くらい撃墜してた気がする。ヤバすぎ)。

ハックス将軍は明らかにターキン総督の影響を受けたキャラクターで、直接戦闘をしない代わりに実務に有能であり、カリスマ性あふれる演説や計略を用いて「戦い」ます。

彼らの存在により、本作の「戦闘」は「決闘」を基準としない多面的なものになっており、はっきりいって僕はこういうのが大好きです。

ストーリーを型にはめないことや、様々なキャラクターを活躍させることにも繋がりますし、意図的なコンセプトとしてやっているなら、本当にいいところに目をつけたなと思います。

 

3.ボーイ・ミーツ・ガールへの再挑戦

スター・ウォーズ』旧三部作は現代で創られた物語でありながら、あまりにも有名すぎて、『聖書』や『アーサー王物語』や『指輪物語』のような、「物語の類型」を示す絶対的代表作品に近いところに位置していると思います。

田舎からの脱出、旅の仲間、戦士としての覚醒、父との対立(エディプス・コンプレックス)、自らに内在する影などがそれに当たりますが、実は一つ、このシリーズが体現していそうで微妙にしていない類型があって、それが「ボーイ・ミーツ・ガール」です。

EPⅣでルーク・スカイウォーカーがレイア・オーガナ姫のメッセージに一目惚れした瞬間までは、たしかに「ルークがレイアと結ばれる可能性」が存在していました。

結果的には、ハン・ソロにかっさらわれた上に血縁関係が発覚して恋は恋でなくなるわけですが、第1作単体で見ると「姫への想い」も「冒険」の動力源であり、それがいつのまにかフェードアウトしていくという展開は、めずらしく類型からはみ出ているのです。

別に類型に合わせる必要はないのですが、『フォースの覚醒』で描かれた「脱走兵フィン」と「孤独な少女レイ」の出会いも完全にボーイ・ミーツ・ガールであり、ひょっとしたらこれは旧三部作の顛末をかんがみた上での再挑戦なのかもしれません。

それを黒人と白人でやるという点もなかなか意義深いと感じます。

まあ、まだ「愛」が生まれているかどうかは分からないんですが、もしそうなら成就して欲しいです。

 

4.科学を超えるものとしてのフォース

『フォースの覚醒』が『ハリー・ポッター』っぽいという声を何度か聞いたのですが、これもまた意図的なコンセプトが起因となった必然だと思います。

スター・ウォーズ』は「物理世界よりも精神世界の方が重要である」というテーマが根底に流れており、それを端的に集約したのが未知の超能力「フォース」でした。

ところが、新三部作で登場した新設定「ミディクロリアン」の存在がフォースを科学的に定義してしまい、そのちょっとした矛盾が批判の対象となりました。

恐らくその反動で、フォースに「定義できない不思議な力」という位置づけを取り戻させようと、本作では神秘的な演出が多用されているのです。

また、旧三部作でも新三部作でもそこまで具体的に掘り下げられなかった「宇宙を繋ぎ止める巨大な力」についても、今回、いよいよ差し迫ったニュアンスで触れられるようになってきています

フォースを通して、作中の「ファンタジーな側面」を復活させたのと同時に、それを新たな方向性に活かしているのです。

 

5.「闇の気配」の再来

僕は全シリーズを通してEPⅥ『ジェダイの帰還』が一番好きなのですが、欠点もあると思っています。

それは「もう終わりだから終わる感」です。

父と息子の物語が完結に向かうのと同時に、EPⅤ『帝国の逆襲』で最高潮に達した「ダークな雰囲気」と、サーガ全体に散りばめられた「なにかとんでもない展開が待っていそうな予感」が、急に収束してしまった感じを受けるのです。

その点、『フォースの覚醒』は娯楽大作であるだけでなく、EPⅤまでの画面を占めていた「闇の気配」への回帰が見られます。

言い換えれば、『フォースの覚醒』は『ジェダイの復讐』の直接の続編でありながら、『帝国の逆襲』の続編でもあると僕は思うのです。

謎と恐ろしさに満ちた「ミステリアスかつシリアスなワクワク感」を取り戻してくれたことも、本作の大きな功績です。

画像引用元・権利者:ルーカス・フィルム/ウォルト・ディズニー・カンパニー

 

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