ドラマ『パニッシャー』シーズン1 感想と見所
またしても順番を前後し、『ザ・ディフェンダーズ』より先に書きます。
ご了承ください。
©Marvel Television/ABC Studios/Bohemian Risk Productions/Netflix
1.概要
『パニッシャー』は同名のコミックスなどを原作としたドラマで、マーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)に含まれます。
主役のパニッシャー(=フランク・キャッスル)は、特殊能力を持たないながらも極めて高い戦闘能力を有する元海兵隊員で、最愛の家族を奪われたことから、復讐と悪への制裁を誓ったヴィジランテです。
不殺の信念を掲げるヒーローが多い中で、「悪を確実に始末する男」であり、いわゆるダークヒーローの代表中の代表といえます。
そのために高い人気を持ち、過去に三度映画化されています。
2.感想と見所
傑作です。
『デアデビル』シーズン1に匹敵する、もしくはそれ以上の完成度だと思います。
脚本・演出の水準がかなり高く、引き込まれてしまいました。
そのような高い水準を保つことができたのは、パニッシャーを映像化するにあたって頭をよぎる「呪縛」を気にせずに、新しい切り口から掘り下げることに集中したからだと思います。
パニッシャーといえば、ブレイドやX-メンと並んで、現在のアメコミ実写化ブームの前からある程度知られているマーベル・キャラクターです。
なので、「映像媒体におけるイメージ」みたいなものが、やはりある程度ある気がします。
僕は、その一つに「爽快感」があると思っています。
元来の「法で裁けない悪を罰する断罪人にして処刑人」という立ち位置に、時に武骨で、時にスタイリッシュな、映像ならではのアクションが加わることによって、一種の「気持ちよさ」がイメージとして、ひいてはニーズとして生まれていると思うのです。
しかし、今回の『パニッシャー』はそのような既存の価値に意識的に寄せることをしません。
避けているというわけでもないので、部分的に被るところはあるし、シーズン2以降そういう点は増えていくとは思いますが、とにかく縛られてはいないのです。
今回最もフィーチャーされるのは、「帰還兵としてのフランク・キャッスル」です。
「公的制裁と私的制裁の違い」というおなじみのテーマを残しつつも、「戦争とそれ以外の違い」「『ホーム』は家庭にあるのか、戦いの中にあるのか」といった、より兵士ならでは苦悩と葛藤の方が前に出ています。
さらに、プロット自体も本格的なポリティカル・サスペンスとなっており、そこに時事的な問題や極めて現実的なドラマが重なることで、メッセージ性が非常に強く、切実なものとなっています。
「悪に対する私刑」以外のモチーフも主題に盛り込むという「シフトチェンジ」。
過度に明快な構図を用いず、戦争映画の文脈で物事を捉えるという「ギアチェンジ」。
爽快感の強さを優先する「必殺仕事人」的ヒーローだけを念頭に置いていると、この二つに度肝を抜かれます。
(念を押しておきますが、ヒーロー作品・アクション作品としても素晴らしいデキです。)
やがて、新たな視点の先に広がるのは、パニッシャーのオリジンの生々しい側面です。
フランク・キャッスルから全てを奪った悲劇は、単に「裁かれざる卑劣な悪の存在」のみによって引き起こされたものではないのだ。
より具体的な、「我々が生きているこの世界の構造」が関わっているのだ。
「パニッシャー」というメジャーなアイコンを通して、フランク、彼の仲間、敵の身さえもを焼く「戦争の残り火」を、手が届きそうなほど身近に感じた時、そしてそこに、社会が維持されるためには避けられない不可抗力だけではなく、人為的な陰謀が含まれていることを理解した時、あなたは何を思うでしょうか。
その怒りを、悲しみを、やるせなさを、殺意を、パニッシャーが銃にこめてくれます。