富とジェリー

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『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』感想・言いたいこと ※ネタバレ注意

今回の記事は批判的な意見を多く含みます。

ご留意ください。

 

1.感想

正直、不満です。

「保守的」と評された前作『フォースの覚醒』とは対照的に、今作は『スター・ウォーズ』のセオリーを壊すものとなっています。

その姿勢自体は別にいいんです。

問題は壊し方と壊したもの。

個人的には、ちょっと耐えられないレベルの歪が多く生じていると思います。

 

2.露骨すぎるメタ構造

まず言いたいのは、「『これは映画ですよ』という前提がないと成立しない仕掛けを前面に押し出すな」ということ。

コンセプトとストーリーが、互いのために存在しているだけなら理解できます。

しかし、本作では「『スター・ウォーズ』のセオリーの否定」というコンセプトがストーリーの一部になっています

例えば「フォースはジェダイだけのものではない」「ルーク・スカイウォーカーは聖人ではない」という要素なら、ストーリーだけを追っていても十二分に成立するものです。

では、「レイが特殊な血筋を引いていないことの判明」はどうでしょう?

このシーンは一応、単独でも意味を持っていますが、「主人公の血筋は特殊なもの」というセオリーを知っている者に対してこそ、効果を発揮する「仕掛け」として用いられていました。

つまり「これは『スター・ウォーズ』というフィクションですよ」という前提がないと理想的な形で成立しないものとして配置されていました。

もちろん「ダース・ヴェイダーは父親だった」という過去の「仕掛け」も、フィクションそのもののセオリーを知っていることでより効果的になるものでしたが、それを抜きにしてもストーリー上の必要性がありました。

しかし、本作ではその必要性の説得力が異常に弱い

だって、レイは両親に捨てられたことそのものに悩んでいるのであって、自分の血筋が特別じゃないことに悩んでなんていないんだもの。

それを悩んでいるのは視聴者だもの。

それなのに、いきなり作中においても重要な議題であるかのように演出するということに、妥当性が見えません。

メタフィクションにしてどうすんの。

 

3.「伝説」「神話」を否定する意味はあるのか

本作がストーリー上で否定しているものは二つ。

一つは「旧世代への執着」

もう一つは「神格化」

前者については賛同できます。

過去のキャラクターたちが、レイ、フィン、ポーなどの新たな世代にバトンタッチするというのは、至極当然の流れです。

けれど、後者には物申したいです。

ジェダイの神格化を否定することには文句ありません。

彼らの傲慢さ・尊大さはプリクエルからずっと触れられています。

問題は「物語の神格化」が否定されたことです。

これまでの『スター・ウォーズ』は、スカイウォーカー家の物語でした。

つまり、「選ばれし者」とその関係者たちが、歴史のターニングポイントで活躍し、銀河に大きな影響を与えるという物語です。

ところが、本作のラストはそのような「伝説」「神話」の客体化を否定し、「誰もが英雄になれる」という考えを押し出しています。

これを本編でやる意味はあるんでしょうか?

ローグ・ワン』でも語られたとおり、「誰もが英雄になれる」というのは真実です。

しかしそれはそれとして、「たまたま英雄になった誰か」ではなく「英雄になるべくしてなった誰か」として主人公を捉え、その啓示と運命を描写してきたのが『スター・ウォーズ』のはずです。

「結果」ではなく「導き」であるのかもしれないという視点を通すことで、全てが繋がっていたはずです。

それを捨て去ることは、作品の根幹の大部分を捨て去ることと同じではないでしょうか。

続く