富とジェリー

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『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』ネタバレ感想 やっぱり駄作だと思う

1.はじめに

僕は今、『スター・ウォーズ エピソード8 最後のジェダイ』をなんとか好きになろうと頑張っています。

実際、全部が全部大嫌いだというわけではないです。

また、『ブレイキング・バッド』のライアン・ジョンソンが監督した回は傑作だと思っているので、この監督に極端に力量がないと断じることもしません。

それでも、うーん……やっぱり『最後のジェダイ』はちょっと許容できないです

 

2.『最後のジェダイ』はメタフィクション

本作のテーマは「過去を葬り去ること」でしょう。

問題はその表現の方法です。

「過去のシリーズとは違い」、レイはスカイウォーカーの血をひいていない。

「過去のシリーズとは違い」、レイはダークサイドに堕ちない。

「過去のシリーズとは違い」、ラスボスと思しきスノークは中盤で死亡する。

本作ではこれらの「お約束はずし」を、象徴やメタファーではなく、がっつりストーリーの本筋として描写・演出し、それによって「過去を葬り去ること」を表現しています

これはどういうことかというと、「これは映画なんですよ」「これは『スター・ウォーズ』というシリーズなんですよ」というメタな視点を一回かませないと、テーマが機能としないということです。

これがマジでマジでマジで大問題だと僕は思うわけです。

何故かというと、『スター・ウォーズ』とは「フィクションであること(視聴者がいること)を大っぴらにしているフィクション」とは対極にあるものだからです

連綿と続く銀河の歴史において、「どうしてこの物語は語られるべきなのか」。

その答えであり、中身であるものが『スター・ウォーズ』だからです。

意図的にしろ、結果的にしろ、ライアン・ジョンソンが僕たちに突き付けたのは、「光と闇の戦いなんてこれまでもこれからも『どっちにしろ』続いていくものなんだよ」

「だから、その成り立ちにも謎にも単体での価値や必然性なんて別になくてもいいんだよ」

という、これまで積み重ねられてきたもの全てを無に帰す、「それを言っちゃあおしめえよ」な視点です。

「なんてことをしてくれたんだ」と叫びたくもなります。

 

3.ルーク・スカイウォーカーを返せ

では、上で挙げたような、言うなれば「コンセプトがストーリーの一部になってしまった歪な部分」(まあそれが大半なんですが)ではなく、ストーリーだけでも機能する部分に目を向けてみましょう。

ルーク・スカイウォーカー(ひいてはジェダイ全体)=聖人」という認識を否定する流れがその中核を担うわけですが、これについてもどうかと思います。

ジェダイが聖人ではないというテーマは、プリクエル(1~3)の頃からさんざん触れられています。

それを経た上で、牧歌的な素養と泥臭い仲間たちに恵まれ、ついに闇に屈服しなかったのがルーク・スカイウォーカーであるわけで。

その大前提を覆し、ルークを再び闇堕ちさせるのには、それ相応の理由が必要です。

「甥に強い闇を感じたから殺そうと思った」なんてのは、ちょっと陳腐すぎます。

また、ここでもライアンは、

「あのルーク・スカイウォーカーすら闇に引き戻すようなとんでもないことが起きた」という視点ではなく、「『あのルーク・スカイウォーカー』なんていう概念自体がそもそも幻想だよ。誰だって完璧ではないよ。当たり前じゃん」という、シニカルな視点から話を組み立てています。

だからそうじゃないんだって!

ジェダイもルークも聖人ではないのはわかる。

そんなことはとっくにわかりきった上で、それでも彼が精神的な葛藤を乗り越え、半永久的な英雄性を感じさせる段階にまで到達したことは間違いないわけで、それをさらにくつがえすというのなら、そのくつがえす「何か」にも意味を持たせないと、「これまで語られてきたものは何だったの?」って話になっちゃうでしょ!

なのに、その「何か」が取ってつけたように口だけで説明されるカイロ=レンの闇って……なんじゃそりゃ。

イタズラな「逆張り」で大好きなルークのキャラクター像が破壊されてしまったことが、本当に悲しいです。

 

4.ギャグのバランス感覚がおかしい

「敵の名前をわざと何度も間違える」というシーンは、まず単純に面白くない。

冒頭の冒頭でそんな幼稚かつ古すぎるギャグを使われても興ざめしかしません。

次に、「ルークが父の形見であるライトセーバーを『ポイッ』と捨て去る」シーン。

ありえないからね!

行動自体をありえないとは言いませんが、そんな重要なシーンにギャグともとれる間を用いるのは、マジでありえないからね!

やっぱりズレてます。